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転機:医学部から体育学部へ、そして経絡テスト誕生

向野:三重大学で主任教授が定年になるということで福岡に帰ってきて、それで福岡大学(病院/医学部)に就職して、そこで細々とそれこそ色々こっそり研究をやり始めました。
そこから7年後、体育学部(現スポーツ科学部)に大学院を作るということになり、“大学病院にちょっと変わったやつがいる”ということで大学院スタッフとして引っ張ってもらったんです。
体育学部に転属してからは、スポーツ選手を診療したりすることも多くなりました。そこから先ほど話した“動きを負荷する”という発想が生まれてきたんです。
体に動きを負荷して問題を解決できるということ。

昔の人の考え方を応用すると、それが今の医学では解決できない問題にも対処できるということがわかった。

中嶋:今おっしゃった、“動きをフカしてみる”という“フカ”というのはどんな字を書くんでしょうか?

向野:えっと、英語で言うと“load”だから、「負」けるに荷物の「荷」ですね。『負荷』。

中嶋:負荷してみるというと、あの「負荷をかける」とかいう意味の?

向野:うん、ただ動かしてみるということだけですけどね。(笑)
だから体を動かしてみれば大体分かると言うこと。

中嶋:ほう~。

向野:スポーツ選手というのは、自分の体がどんなふうに動いているというか、こういう動きの時はどんなおかしな点があるかということに非常に敏感で、それを的確に伝えることができます。
それがこの考え方を作り上げていくのに非常に役に立ちましたね。
それで、実際にスポーツ選手を診ていると基本的なところがだいたいわかってきますから、今度は病院でもこのやり方を実践しました。
体育学部で教鞭をとる傍らで病院も兼務しろと言われて両方で働かされていたんですね。
ずっと。(笑)

中嶋:病院では何科に所属されていたんですか?

向野:内科です。
体育学部に移る時、「兼務しろ」と言われたんですけど、その時私は条件を出したんです。
「もう鍼だけしかしませんが、よろしいか」と。
従来の専門は腎臓部門、腎臓部門のナンバー2だったんですね。
それで、「腎臓はやりませんよ。鍼だけやりますけど、それでもよろしいか」と言ったら、”それでいい”と。
ここまできてやっと“自分の棲家”ができたという感じでした。
そして、内科の中で東洋医学外来と標榜して続けた鍼治療が、後に東洋医学診療部ができるまでになっていったということ。

中嶋:“東洋医学診療部”というのができたわけですね。

じゃあ創設者でらっしゃるということですね?

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向野:創設と言うか、初代部長になりますけど。
だから、部長になっても体育学部の仕事と両方兼務ですから、まあ大変でしたけどね。

中嶋:すごーい!
腎臓が専門の中で、西洋の医学を用いた治療を行いつつ、患者様に鍼とか東洋医学を施していたんですね。

向野:鍼とかそういう治療が必要な人にはやっていました。
それで、腎臓が悪いとか肝臓が悪いとか心臓が悪いという患者さんは、大学病院ですからその道の専門家に全部任せられますからね。
私はもう鍼だけをやればいいと。
やっと自分の目指した道に、ポジションになってきたんですけど。
そうは言ってもまだまだ欲はありましたけどね。

中嶋:鍼が医療行為の中で、先生の医療行為の中で打ってもいいとなった時っていつだったんですか? 最初に。

向野:鍼自体を? 病院で?
これはどこの大学でも大丈夫だったんです。

中嶋:それはオッケーだったんですねー。

向野:三重大学でも福岡大学でも大丈夫だったんです。
それは非常に柔軟に考えてもらえました。
どうして柔軟に考えてもらえたかというと、本来の仕事を一切手抜きをしていないから。
だから本来の仕事を十分やって、余った時間に鍼をするから何も言われなかったっていうことなんですよ。

中嶋:そんな中で、先生がされた西洋医学プラス鍼の技術によって患者さんの回復がたくさん事例として上がっていくことによって、その手法が認められてというのが積み重ねて行ったっていう感じですか?
そしてその診療部が出来たというのは、おいくつの時だったんですか?

向野:えっといくつだったかなぁ・・・2006年に東洋医学診療部を開設したのかな。

中嶋:医師免許を取られたのはいつだったですか?

向野:1971年。

中嶋:うーん・・・ということは35年、35年越しに一つ夢が叶ったと言う。
すごいなぁ・・・。(しみじみ)
でも、本当に中学生の時に思った鍼、東洋医学を西洋の中で実践するという思い、それは本当に直感だったのかもしれないですが、まあ間違ってなかったと言うか、ずっと信じ続けられて来れたというわけですよね。

向野:いやもうそれはずっとブレてないですね。
ブレてはないけど、やっぱりある一つの領域の西洋の専門家でいる方がずっと楽だったとは思いますけどね。

中嶋:そうですか~。
最初にうかがった西洋医学と東洋医学の大きな違い、さっき負荷をかける云々というのと、症状が一つにまとまるということもあったんですが、その他にも何か思想的なとことか違いはありますか?
その・・・私は、「経絡」というものがよく分かってなくてですね。
経絡と神経と筋って全部違うんですか? 全く別物なんですか?

向野:経絡は別ですね。
経絡は、これはあるかどうかまだ議論があるんですけど。

中嶋:あるかどうか議論されてるんですか!?(驚)
東洋医学はそこを刺激する医療行為と言うか?

向野:議論はあるんですが、ただ、1949年に日本で非常に珍しい患者さんが千葉大学医学部の眼科学教室で見つかりました。入院患者さんでした。
千葉大学には、長濱善夫4)といって、この領域を開拓した先生がいらっしゃったんですね。

どういうことかというと、長濱先生4)がその患者さんの指先を鍼で刺激すると、そこから何か電気刺激みたいな感覚が身体の中に伝わっていくのをその方は自覚できたんです。その感覚に基づいて線を描いていったんですね。そうするといくつもの線が出てきたんです。その線を見ると、昔の人が書き残した「経絡」というものにそっくりだったんです。
そしてそれは一冊の本になるんです。翌年、「経絡の研究」という本が出版されました。

そして、ちょうど中国から留学していたドクターがそれを見て中国語に翻訳するんですよ。そうしたら、中国本土で一斉に調査が行われました。それで、中国でもすぐに100人ぐらい見つかるんです。そういう患者が。それで、これはどうも何か今までに知られていない”情報伝達系”だろう、ということころまでは推測できてるんですけど・・・これが、この実態がなにかよくわからない。

中嶋:神経の通り道とはまた別なんですか?

向野:全然違います。

中嶋:じゃぁ、物理的には解剖しても「これが経絡だ!」という線があるわけではないわけですね?

4)長濱善夫(ながはまよしお)

1915年神奈川県生まれ。1940年千葉医科大学卒業後、同大の眼科教室に所属し、伊藤弥恵治の薫陶を受け、主として東洋医学研究室において研究に従事する。

1947年(昭和22年)藤平健らとともに千葉医科大学の公認課外講座として「東洋医学自由講座」を設置、1950年(昭和25年)日本東洋医学会の創設にあたっては学会準備委員会委員として尽力した。

1949年春に、千葉医科大学で視神経萎縮という悪性の眼病を患った鍼響に敏感な患者と遭遇したことがきっかけで鍼響の研究を行うようになった。

著書:経絡の研究 : 東洋医学の基本的課題、東洋医学概説、針灸治療の新研究

Wikipediaより

 

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向野:ないですね。
ただ、経絡は「正経とか奇経」とか言って、いろいろ分類があるんですが、一般的に使われるのが正経で12本あるんです。その12本の経絡上にツボがあるんですね。経絡とツボは、ちょうど線路上に駅がたくさんあるみたいなイメージ。

それで、その経絡上 のツボを刺激すると、その経絡に影響を及ぼすということになる。

例えば、歯が痛い時には「合谷(ごうこく)」という手の親指と人差指の付け根の交差点辺りのツボによく鍼をします。合谷は大腸経という経絡の上にあるんですが、この大腸経は人差し指から手首、肘、肩、顎、から口の周りを通って反対側の鼻の横までに分布しています。それで、合谷に鍼をすることで歯の痛みが取れるのは、そういう経絡の遠隔刺激効果の説明の概念となっているんですけどね。何故そうなるのかという研究は、まだあまりわかっていなくて・・・。
鍼灸の研究については、実は局所効果の研究はたくさんやられてるんです。例えば、痛みに関わる物質の変化が起こるとかね。だけどその効果が、想像できないような所の効果につながっているということはまだあまり解明されていない。ちょっとややこしくなりますが、それは経絡というものが、テンションにすごく影響を与えている可能性があるということから、さっきの栗剥き三例の病態の説明に繋がっていくんですけどね。

中嶋:今、「テンション」とおっしゃいましたが、テンションもさっきの負荷みたいなものですか?

向野:負荷をかけてテンションを上げるというね。普通はそれがスムーズだから、テンションはあまりいっぺんに大きくなることはないが、経絡に動きの異常がちょっとでもあると、その負荷をかけるとそのテンションが強くなって、それで症状につながるといった仮説を持っているんですけどね。

中嶋:なるほどですね。
今おっしゃったように昔からその鍼灸とか東洋医学でやられてきたことを西洋医学のベースで明らかにして行く。でも物理的には解剖で身体を開いてみても何の道筋も見えないけれども、そうやって線を引ける患者がいるという。
それって、経絡っていつか明らかにになっていく可能性というものは?

向野:あります。

中嶋:あるんですかーーー!!(驚) へー!

向野:あるし、患者さんへの応用の面からこういう風に応用できると言うのを僕は示したつもりなんですけどね。身体を動かすことで、こういうことがわかると。身体と動きというのは西洋のお医者さんもわかるんですよね。

中嶋:そこは共通していると?

向野:うん、だから「共通言語」になるということですよ。
だからお互いに理解できる。そのベースは違っても西洋も東洋もお互いに理解できる、リンクするものになるのだろうと。動きならば、患者さんに説明する時に、治療する人と患者さんの間の会話も成り立ちますよね。共通に理解できる概念ですから。
だから技術者同士もいろんな医療に関わる人はたくさんいますけど、その人達もお互いに理解できる。非常に広く使えるシステムになるという風に期待をしていますけど。
だから“共通言語”というのは、これがまたこの方法論を考えついた時に自分としては本当に嬉しかったことの一つです。

中嶋:見つけた!!と言うか、なるほどここ共通だ!と。そこが負荷テンションということですね。