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思い出に残る書籍

中嶋:まぁそうやって本を書かれたということがあって、今日は逆に影響を受けた本というか、この長い“経絡人生”というかどうかちょっとおかしいかもしれないですけど、志でずっとブレずに来れた、そんな中でも先生のモチベーションをキープさせてくれたり、さらに持ち上げてくれた本がきっとあると思うんですけども、いくつかご紹介いただいてもよろしいですか?

向野:それはですね、医学生の頃に読んだ本ですね。
一つは、どうしてこういう風な東洋的な発想が医療の中で出てきたのだろうかということですね。
和辻哲郎7)という哲学者がいるんですけど、彼は比較文明論、文化論を研究していた人です。
その人が『風土』という本を書いていて、その中で医療でも東洋医学的発想をしたんだということを書いていました。
それで、自分がこれからこの道でやって行こうと医学部に入ったけど、入ってみると自分が思い描いていた現実とは全然かけ離れすぎていますから、何も出来る場所がないですよね。勉強する場所さえもないし。そういう時に出会ったのが、澤瀉久敬8)先生という当時大阪大学の医学部の医学概論の講座の先生が書かれた3冊の「医学概論」という本。

この3冊目に「医学について」というのがあって、そこでセリエの話を読んで。

中嶋:セリエ?

7)和辻 哲郎(わつじ てつろう)
1889年3月1日 - 1960年12月26日 日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。『風土』は、留学中、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』に示唆を受け、時間ではなく空間的に人間考察をおこなったもの。1931年に刊行。Wikipediaより

8)澤瀉 久敬 (おもだか ひさゆき)
1904年8月7日 - 1995年2月26日 フランス哲学者。大阪大学名誉教授。大阪大学より医学博士、論文は 「医学概論」。ベルクソンを学び、哲学と医学を結びつけ、独自の学問領域を開拓した。『「自分で考える」ということ』はロングセラーとなった。Wikipediaより

向野:ストレス学説で有名なハンス・セリエの話で、症状を一個一個捉えるんじゃなくて、全体としてその症状の根底にあるものっていうことを考えていくという考え方ですね。西洋医学でもそういう考え方が出てきている、そういう研究領域がね。それで、まぁこれでいけるなという思いですよね。

それと、あとは『鍼灸の医学(創元医学新書)』。

医学部に入ってどういうことが研究されているかということが自分なりに知りたくてね。それで、先ほど紹介した経絡について報告した先生(長濱善夫先生)が書かれた本で「鍼灸の医学」というのをみつけて読みました。

そしてもう一人、間中喜雄8)先生といって、京都大学を出て間中病院の院長をしながらこういう領域(鍼灸、東洋医学)をずっと、本当にアイデア豊かにいろんな研究のアプローチをやってる先生の本があるんですけどね。その先生の本は欠かさず買って読んで行ったということ。
まあそれを読みながら、自分の考え方とかオリジナリティをどこに求めていくかというそういうことの繰り返しですね。
中嶋:先ほど、「東洋医学と西洋医学の融合とか考えなければもっと楽だったと思う」とおっしゃったと思うんですけども、その間中先生のように西洋医学をやりながらもいろんなアプローチで新しい考え方とか、そのセリエの考え方も西洋医学にあってとか、それを取り入れてもっと体系的にとか、もっと違う切り口でとかいう風に研究してらっしゃる方が他にいたというのも勇気づけられたということですかね。

8)間中善雄
1911年4月11日 - 1989年11月20日

外科医、鍼灸師、医学博士。西洋医学の医師でありながら、東洋医学、特に鍼灸医学の普及発展に貢献し1950年には日本東洋医学会の設立に参加した。

中国、アメリカ、フランスなどで講演活動を行う。

著書に、体の中の原始信号―中国医学とX‐信号系、医家のための鍼術入門講座、針灸の理論と考え方などがある。Wikipediaより

向野:そういうことですね。
中嶋:でも、周りと言いますか、同級生から「お前さぁ、もういいよ〜」みたいなことを言われた事もあったりしたんですか?「西洋医学やっとけばいいじゃん」みたいな。
向野:まあそういうことを類するような発言もありましたけどね(笑)。
それでも最近の同窓会に行くと逆で、「お前の話を聞きたい!」とか、「お前はいいな!」とか言われます。
中嶋:「お前いいな!」というのは、それは自分の志を曲げずにずっとやってきているから素晴らしいし、羨ましいと。そうなんですね〜。(しみじみ)
向野:まあそういうことを言ってくれる人もいますね。
中嶋:本当に、ただ鍼灸を志すであれば別に医学部に行く必要もなく、鍼灸師になれば良い。鍼灸師としてその良さを患者さんに伝えていくという方法もあったけれど、先生の場合は「西洋医学との融合でさらに!」という。
今、大学病院に東洋医学診療部ができたということなんですけども、さらに今後どういうチャレンジをして、どういうことを実現できたらいいなと考えていらっしゃったりしますか?

向野:実は、診療部長も65歳になると医学部の場合は全ての役職を下りないといけないという決まりです。それで私は現在68歳ですから(収録時は2015年)、3年前にもう降りてしまった。それで大学の定年が70歳ですから、あと2年弱です。その次、大学を退職してからどうするかということになりますよね。次からどうするかについては、まだ決めかねているんです。これからは研究ということはそうできないですからね。だけど、私の研究室で研究して巣立って行った人が現在は大学の先生になったりしていて、その人達が少し研究をしているのと、最近は科学研究費(科研)に通る人が少しずつ出てきていましてね。そういうことで、もう研究の方は若い人たちに託して、私はそのサポートをと考えているところ。
70歳以降の人生は、普及というか啓蒙活動に力を注ごうというふうに考えているところです。

中嶋:なるほどですね。

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